【ヨークシャー・リッパー事件】9回の事情聴取をすり抜けた男と、偽のテープに導かれた捜査の心理プロファイリング

はじめに:「平凡な運転手」と史上最大級の捜査

1975年から1980年にかけて、イングランド北部のウェスト・ヨークシャー州を中心に、女性が次々と襲われました。13人が殺害され、7人が襲われながらも命をとりとめています。新聞はこの正体不明の犯人を、19世紀ロンドンの「切り裂きジャック」になぞらえて「ヨークシャー・リッパー(Yorkshire Ripper)」と呼びました。

1981年1月、偽のナンバープレートを付けた車に乗っていたことから、ブラッドフォードに住むトラック運転手ピーター・サトクリフ(Peter Sutcliffe)が逮捕され、犯行を自白します。のちに明らかになったのは、サトクリフが捜査の過程で9回も警察の事情聴取を受けていたこと、そして捜査が、犯人を名乗る人物から届いた偽の録音テープによって、大きく誤った方向に進んでいたことでした。

本記事では、事件の経緯と捜査の失敗を整理したうえで、犯人の行動と、捜査を誤らせた心理の仕組みを、犯罪心理学の観点から読み解きます。被害者とその家族への配慮から、本記事では被害者の名前を記さず、犯行の詳細な描写も控えます。

1. 事件発生の経緯とタイムライン

■ 1975年:始まりの年

サトクリフは1946年6月2日、ウェスト・ヨークシャーのシップリー(Shipley)で生まれ、近郊のビングリー(Bingley)で育ちました。1960年代には2度にわたってビングリーの墓地で墓掘りの仕事をしたことがあり、のちに大型トラックの運転手として働いていました。1974年8月に結婚し、1977年からはブラッドフォードのヒートン(Heaton)地区の家で妻と暮らしています。

1975年、サトクリフは複数の女性を襲い始めます。最初の殺人とされる事件は、1975年10月30日、リーズ(Leeds)で起きました。その後、リーズのチャペルタウン地区やブラッドフォードの歓楽街など、夜間に女性が一人で歩く地域で事件が続きます。

当初、それぞれの事件は別々の事件として捜査されていましたが、犯行の手口の共通点から、警察はやがて同一犯による連続事件と判断するようになります。捜査は複数の警察本部にまたがる大規模なものとなり、ウェスト・ヨークシャー警察が中心的な役割を担いました。

■ 1976〜1978年:広がる犯行と恐怖

被害者の中には性産業で働く女性が含まれていたことから、警察は当初、犯人が「娼婦を狙う殺人者」であるという見立てを強めていきました。しかし実際には、帰宅途中の学生や会社員など、さまざまな立場の女性が被害に遭っています。

1977年には、被害者の一人の所持品から、発行されたばかりの5ポンド紙幣が見つかりました。警察はこの紙幣が、ビングリーやシップリーの銀行の支店から出たものであることを突き止め、その紙幣が給与として支払われた可能性のある企業の従業員を調べました。サトクリフの勤務先もその対象に含まれ、彼も事情を聴かれていますが、容疑者として絞り込まれることはありませんでした。新札の番号という具体的な手がかりが、犯人のすぐ近くまで捜査を導いていたことになります。

犯行はウェスト・ヨークシャーにとどまらず、2件はマンチェスター(Manchester)で起きています。地域の女性たちは夜間の外出を控えるようになり、街から人影が消えたと伝えられています。

■ 1978〜1979年:偽の手紙とテープ

1978年3月8日付の手紙を皮切りに、犯人を名乗る人物から、捜査を指揮していたウェスト・ヨークシャー警察のジョージ・オールドフィールド(George Oldfield)副本部長らあてに、1979年6月末までに3通の手紙が届きました。そして1979年6月17日、オールドフィールドのもとに一本のカセットテープが送られてきます。テープの声は警察を嘲るような内容で、イングランド北東部ウェアサイド(Wearside、サンダーランド周辺)のなまりがありました。

警察はこの手紙とテープを本物と判断し、大々的に公開しました。捜査の焦点は、ウェアサイドのなまりを持つ男へと移っていきます。捜査の拠点もウェスト・ヨークシャーから離れた北東部へと広がり、真犯人が暮らしていた地域から捜査の目がそれていきました。

■ 1981年1月2日:シェフィールドの路上で

1981年1月2日の夜、サウス・ヨークシャー州シェフィールド(Sheffield)で、パトロール中の警察官が、駐車中の茶色のローバーのナンバープレートが偽物であることに気づきました。運転席にいたのがサトクリフでした。車には女性が同乗しており、警察官の職務質問によって、彼女は危険を免れたと考えられています。

サトクリフはトイレに行きたいと言って車を離れ、建物の脇に凶器を隠しました。のちに警察官が現場に戻り、約15メートル離れた場所でハンマーとナイフを発見します。デューズベリー(Dewsbury)の警察署で車を調べた警察官は、グローブボックスからドライバー(工具)も見つけています。取り調べを受けたサトクリフは、ジョン・ボイル(John Boyle)警部に対し、一連の事件について長時間にわたる詳細な自白をしました。

主な出来事の年表

  • 1946年6月2日|ピーター・サトクリフ、シップリーで生まれる
  • 1974年8月|結婚
  • 1975年|女性への襲撃が始まる
  • 1975年10月30日|リーズで最初の殺人事件
  • 1977年|被害者の所持品から新札の5ポンド紙幣が見つかる。サトクリフも事情を聴かれる
  • 1978年3月|犯人を名乗る手紙が警察に届き始める
  • 1979年6月17日|偽の録音テープが届き、捜査がウェアサイドに傾く
  • 1980年11月|リーズで最後の殺人事件
  • 1981年1月2日|シェフィールドで偽ナンバーの車に乗っていたところを逮捕
  • 1981年5月22日|ロンドンの中央刑事裁判所(オールド・ベイリー)で有罪。終身刑
  • 1984年3月|ブロードムーア病院に移される
  • 2005年10月18日|偽テープを送った男が逮捕される
  • 2006年3月21日|偽テープを送った男に禁錮8年の判決
  • 2010年|高等法院が「終身にわたる収監」を命じる
  • 2016年8月|刑務所に戻される
  • 2020年11月13日|サトクリフ死去

2. 捜査の経緯と犯人特定

■ 9回の事情聴取と「情報の洪水」

サトクリフは逮捕までに、9回にわたって警察の事情聴取を受けていました。5ポンド紙幣の捜査、車のナンバーの記録、目撃情報など、彼にたどり着く手がかりは複数存在していたのです。

それでも彼が絞り込まれなかった最大の理由は、捜査本部が集めた膨大な情報を整理しきれなかったことにありました。当時の捜査は、紙のカード索引で情報を管理していました。情報は日々積み上がり、カードの照合は追いつかず、同じ人物に関する複数の情報が結びつけられないまま埋もれていったとされます。地元紙は、捜査本部が「情報に圧倒され、適切に照合されていなかった」と伝えています。事情聴取を担当する捜査官が、同じ人物が以前にも聴取されていたことを知らないまま話を聴く、という状況も生まれていたと指摘されています。

■ 偽のテープがもたらした「18か月」

もう一つの決定的な要因が、偽の手紙とテープでした。テープのウェアサイドなまりを手がかりに、警察は約4万人の男性を調べたとされます。そして、事情聴取を受けた男性のなまりがテープの声と違えば、その男性は容疑者から外される傾向が生まれました。ブラッドフォード出身のサトクリフのなまりは、テープの声とは明らかに異なっていました。

この偽装は、サトクリフの逮捕を約18か月遅らせた可能性があると指摘されています。テープが届いたあと、サトクリフはさらに3人の女性を殺害し、2人を襲っています。

偽の手紙とテープを送ったのは、サンダーランドに住む男ジョン・ハンブル(John Humble)でした。彼の正体が明らかになったのは、事件から25年以上たった2005年のことです。未解決事件の再捜査で、手紙の封筒から採取されたDNAが、全国DNAデータベースに登録されていた彼のDNAと一致しました。ハンブルのDNAは、2001年に酒に酔って騒ぎを起こし警察の警告を受けた際に採取されていたものでした。2005年10月18日に逮捕されたハンブルは、司法妨害の4つの罪を認め、2006年3月21日に禁錮8年を言い渡されています。2009年に釈放され、2019年に亡くなりました。

■ 偶然と日常の捜査が導いた逮捕

最終的にサトクリフを捕らえたのは、大規模な捜査本部ではなく、偽ナンバーの車を見とがめた警察官の日常的な職務でした。シェフィールドの警察官が現場に戻って凶器を見つけたことが、自白へとつながっています。大規模な捜査が見逃し続けた人物を、基本的な確認作業が捕らえたという事実は、事件の教訓として繰り返し語られています。

3. 犯罪心理学プロファイリング

ここからは、確認されている行動と裁判での主張をもとに、サトクリフの犯行と、捜査を誤らせた心理を考えます。

■ 二重生活と「普通さ」という仮面

連続殺人犯の中には、家庭や職場では目立たない、ごく普通の人物として生活している人がいることが知られています。周囲の人々が「信じられない」と語るのは、その人物が日常の中で疑いを招く行動をとらないからです。

サトクリフは、妻と家を構え、職場でも働き続けていました。9回の事情聴取でも、決定的な疑いを持たれていません。夜間に車で移動する機会の多い運転手という職業は、犯行のための移動を日常の中に溶け込ませることにもつながったと考えられます。

ここから考えられるのは、犯人の「普通さ」そのものが、捜査の目をそらす仮面として機能した可能性です。捜査官が無意識のうちに「異常な犯人」を思い描いていたとすれば、家庭を持つ平凡な運転手は、その像から外れて見えたはずです。ただし、これは結果から振り返った解釈であり、当時の捜査官がどのような犯人像を描いていたかは、個々に異なっていたと考えられます。

■ 「使命」の主張と精神鑑定をめぐる争い

サトクリフは逮捕後、神からの声に命じられて女性を殺したと主張しました。犯罪学では、特定の集団を社会から排除することを「使命」と考えて犯行に及ぶ連続殺人犯を、「使命型(mission-oriented)」と分類する考え方があります。

裁判では、この主張が大きな争点になりました。検察側は当初、責任能力の減退を理由とする故殺(manslaughter)の答弁を受け入れる方向でしたが、裁判官はこれを認めず、責任能力の判断は陪審に委ねるべきだとして、殺人罪での審理を命じました。陪審は多数決で13件の殺人について有罪と判断しています。その後、サトクリフは妄想型統合失調症と診断され、1984年に精神科の保安病院であるブロードムーア病院に移されました。

この経緯からは、診断された精神疾患と、犯行時の責任能力の評価が、必ずしも一致しないことが分かります。「使命」の主張は、本人の症状の表れだった可能性もあれば、罪を軽くするための説明だった可能性もあり、裁判ではその点が争われました。少なくとも陪審は、犯行の計画性や、凶器を隠すといった逮捕時の行動を重く見たと考えられます。また、被害者が性産業の女性に限られていなかったという事実は、「特定の集団を排除する使命」という本人の説明と食い違う点でもあり、主張の信頼性を考えるうえで見落とせません。

■ アンカリング効果――最初の手がかりに縛られる捜査

人は、最初に与えられた情報を基準(アンカー)にして、その後の判断を調整する傾向があります。これを「アンカリング効果」と呼びます。

偽のテープは、捜査にとって強力なアンカーになりました。犯人の「声」という、具体的で生々しい情報は、他の手がかりよりも強く記憶に残り、判断の基準になります。いったん「犯人はウェアサイドなまりの男だ」という基準ができると、なまりの違う人物は、他の手がかりがあっても除外されやすくなりました。

また、テープを送ったのが本物の犯人だと信じたことには、捜査の長期化による焦りも関わっていたと考えられます。犯人と直接つながる手がかりを得たいという願いが、テープの真偽を慎重に検討する姿勢を弱めた可能性があります。テープが捜査責任者個人にあてて送られ、挑発的な内容だったことも、捜査を「犯人との一対一の対決」のように感じさせ、冷静な検証を難しくしたのかもしれません。ただし、当時もテープの真偽を疑う声は一部にあったとされ、捜査本部全体が同じように判断していたわけではありません。

■ 被害者への偏見と「捜査の視野」

この事件の捜査と報道は、被害者への偏見という点でも強く批判されてきました。被害者の中に性産業で働く女性がいたことから、警察や報道の一部は、被害者を「娼婦」と「罪のない女性」に分けて語りました。

心理学では、ある集団を自分たちとは違う「外集団」と見なすと、その集団に属する人々への共感や関心が弱まることが知られています。被害者を分けて語る姿勢は、遺族を深く傷つけただけでなく、「犯人は特定の女性だけを狙う」という見立てを固定し、それ以外の女性が襲われた事件との関連を見えにくくした可能性があります。さらに、「自分たちは狙われない」という誤った安心感を、地域の女性たちに与えた面もあったと考えられます。

4. 事件の背景と社会への影響

■ 当時の社会状況:1970年代のイングランド北部

1970年代のイングランド北部は、炭鉱や繊維産業などの伝統産業が衰退し、経済的に厳しい状況にありました。リーズやブラッドフォードには、夜間に女性が一人で歩かざるを得ない地域も多く、街灯や防犯の設備も十分ではありませんでした。

捜査は複数の警察本部にまたがり、情報の共有にも課題がありました。イングランドの警察は地域ごとの警察本部に分かれており、広域にわたる連続事件では、本部間の連携が捜査の成否を左右します。

また、この時期は女性の権利をめぐる運動が広がった時代でもありました。事件をきっかけに、女性たちが夜の街を歩く権利を訴える「夜を取り戻せ(Reclaim the Night)」のデモが、1977年にリーズなどで行われたとされています。警察が女性に夜間の外出を控えるよう呼びかけたことへの反発も、その背景にありました。

■ 事件が社会・法律・報道に与えた影響

捜査の失敗は、警察監察官ローレンス・バイフォード(Lawrence Byford)による調査報告書(バイフォード報告書)にまとめられました。報告書は、捜査本部が情報を処理しきれなかったことや、寄せられた情報への対応の遅れなど、深刻な欠陥を指摘しています。報告書の全文が公開されたのは、2006年になってからでした。

この反省から、イギリスでは重大事件の捜査本部の運営方法が標準化され、大規模な捜査情報をコンピューターで管理する「HOLMES(Home Office Large Major Enquiry System)」が導入されたとされています。ヨークシャー・リッパー事件は、捜査情報の管理方法を根本から変えた事件として位置づけられています。

また、偽テープの送り主が25年以上たってDNAで特定されたことは、未解決事件の証拠を保管し続ける意味と、DNAデータベースの捜査上の力を示す例にもなりました。

報道の面でも、被害者を区別して扱った姿勢への批判は長く続きました。2020年のサトクリフの死去の際には、ウェスト・ヨークシャー警察の本部長が、当時の捜査で使われた「言葉づかい、口調、用語」について遺族に謝罪したことも報じられています。

5. 司法の判断と現代への教訓

■ 判決・現在の状況

1981年5月、ロンドンの中央刑事裁判所(オールド・ベイリー)での裁判で、陪審はサトクリフを13件の殺人で有罪とし、7件の殺人未遂についても本人が有罪を認めました。5月22日、裁判官は20の終身刑(同時執行)を言い渡し、少なくとも30年は服役すべきだと勧告しました。

イギリスでは、終身刑の受刑者にも、仮釈放の審査を受けられるまでの最低服役期間が定められるのが一般的です。しかし2010年、高等法院はサトクリフについて、生涯にわたって釈放しない「終身にわたる収監(whole life order)」を命じました。サトクリフは1984年3月からブロードムーア病院に収容され、2016年8月にフランクランド刑務所に戻されています。妻とは1994年に離婚しました。2020年11月13日、新型コロナウイルス感染症により、入院先の病院で74歳で死亡しました。

■ 現代社会への教訓

  • 情報は集めるだけでは意味がない:9回の事情聴取は、情報が結びつかなければ犯人を捕らえられないことを示しました。情報を照合し、共有する仕組みが捜査の成否を分けます。
  • 最初の手がかりを疑い続ける:偽のテープに縛られた捜査は、強い印象を与える情報ほど慎重に検証すべきことを教えています。
  • 被害者を区別しない:被害者の職業や立場によって扱いを変えることは、遺族を傷つけ、捜査の視野も狭めます。

まとめ

ヨークシャー・リッパー事件は、一人の男が「普通の生活」を隠れみのにして長期間犯行を重ねた事件であると同時に、捜査が自らの判断の誤りによって犯人を見逃し続けた事件でした。9回の事情聴取、照合されないカード、偽のテープ、そして被害者への偏見。どれか一つが違っていれば、失われずに済んだ命があったかもしれません。

この事件が残した最大の教訓は、捜査する側の「思い込み」もまた、犯人と同じように警戒すべき対象だということです。その反省は、現在のイギリスの捜査の仕組みの中に受け継がれています。

【動画でさらに詳しく解説】 本事件の詳細は、YouTubeチャンネル『CRIMINALNIGHT』にて解説しています。ぜひあわせてご覧ください。