【袴田事件】58年後の再審無罪――「5点の衣類」と虚偽自白が生んだ冤罪の心理構造

はじめに:死刑囚とされた男が、88歳で「無罪」を言い渡されるまで

1966年6月30日未明、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で、みそ製造会社の専務一家4人が殺害され、住宅が放火される事件が起きました。同じ会社の従業員で元プロボクサーの袴田巖さんが逮捕され、1980年に死刑が確定します。しかし袴田さんは公判の初日から一貫して無実を訴え続け、2014年の再審開始決定による釈放を経て、2024年9月26日、静岡地裁で無罪判決を受けました。検察は控訴せず、無罪が確定しています。

 

判決は、有罪の柱だった「5点の衣類」などの証拠について、捜査機関によるねつ造と認定しました。なぜ無実の人が「自白」し、なぜその誤りが半世紀以上も正されなかったのか。本記事では、事件と捜査、裁判の経過を時系列で整理したうえで、虚偽自白、確証バイアス、組織の同調圧力、長期拘禁がもたらす心理的影響といった犯罪心理学・司法心理学の観点から、冤罪が生まれ、維持される構造を読み解きます。なお、真犯人は現在も判明していません。

1. 事件発生の経緯とタイムライン

■ 1966年6月30日未明――専務宅の火災と4人の遺体

事件が起きたのは、静岡県清水市横砂(現・静岡市清水区横砂東町)にあったみそ製造会社の専務宅です。報道や判決資料によれば、6月30日午前1時50分ごろに出火し、午前2時32分ごろに鎮火しました。焼け跡からは、専務(当時41歳)、妻(38歳)、高校2年の次女(17歳)、中学3年の長男(14歳)の4人の遺体が見つかりました。4人には多数の刺し傷があり、火災の前に殺害されたうえで放火されたと判断されました。同じ家族のうち長女と専務の両親は難を逃れています。

 

侵入時刻については、のちの「自白」では午前1時20分ごろ、確定判決では「午前1時すぎ」とされ、資料によって表現が異なります。また、奪われた金額についても、売上金の額などの基準によって記載が分かれており、諸説があります。

■ 7月上旬――凶器とされた小刀、従業員寮の捜索

7月2日、次女の遺体の足元付近から、刃渡りの短い「くり小刀」が発見されました。警察はこれを凶器とみて捜査を進めます。7月4日には会社の工場と従業員寮が捜索され、住み込みで働いていた袴田さんの部屋からパジャマが押収されました。のちに捜査側は、このパジャマに付いた血痕などを有罪の根拠として示していくことになります。

 

袴田さんは当時30歳。プロボクサーとして活動したのち引退し、このみそ会社で働いていました。元ボクサーという経歴や、事件当夜に寮にいたことなどから、早い段階で捜査の焦点が向けられたとされています。

■ 8月18日の逮捕と9月6日の「自白」

1966年8月18日早朝、袴田さんは任意同行を求められ、同日夜、強盗殺人・放火などの容疑で逮捕されました。取調べは連日続き、1日平均約12時間、最も長い日で約17時間に及んだとされます。袴田さんは否認を続けていましたが、勾留期限が迫った9月6日、犯行を認める供述をしました。9月9日、住居侵入・強盗殺人・放火などの罪で起訴されます。

 

その後の9月13日には、清水郵便局で差出人不明の封筒が見つかり、中には紙幣が入っていました。この封筒が事件とどう関わるのかについても、後年まで議論が続いています。

 

この時期の取調べは、現在のように録音・録画されておらず、弁護人が立ち会う制度もありませんでした。袴田さんは逮捕から自白までの約20日間、警察署の留置施設で連日取調べを受けていたことになります。のちの再審判決は、この取調べについて、自白を得ることを目的とした非人道的なものだったと厳しく指摘しました。

■ 公判での否認と、1年2か月後の「5点の衣類」

袴田さんは初公判で起訴事実を否認し、取調べで暴行や脅しを受けたと訴えました。以後、袴田さんは一度も罪を認めていません。

 

一審の審理が続いていた1967年8月31日、会社の工場にあった1号みそタンクの中から、麻袋に入った衣類5点(シャツ、ズボン、下着など)が見つかりました。事件から約1年2か月後のことです。検察はこれを「犯行時の着衣」と主張を改めます。「自白」では犯行時の服装はパジャマとされており、5点の衣類については一言も触れられていませんでした。さらに、袴田さんの実家からは、このズボンと同じ生地の端切れ(共布)が押収されたとされ、5点の衣類と袴田さんを結びつける証拠とされました。

 

衣類が見つかったのは、事件から1年以上、起訴からもおよそ1年が過ぎた時期でした。この「発見のタイミング」は、のちに弁護団が衣類の不自然さを訴える出発点の一つになります。

 

  • 1966年6月30日|清水市の専務宅で一家4人が殺害され、住宅が全焼
  • 1966年7月4日|従業員寮の袴田さんの部屋からパジャマを押収
  • 1966年8月18日|袴田さんを強盗殺人などの容疑で逮捕
  • 1966年9月6日|長時間の取調べの末に「自白」
  • 1966年9月9日|起訴。初公判から否認に転じる
  • 1967年8月31日|みそタンクから「5点の衣類」が見つかる
  • 1968年9月11日|静岡地裁が死刑判決
  • 1980年12月|最高裁で上告が退けられ、死刑が確定
  • 2014年3月27日|静岡地裁が再審開始を決定し、袴田さんを釈放
  • 2023年3月13日|東京高裁が再審開始を認める決定
  • 2024年9月26日|静岡地裁の再審公判で無罪判決(10月9日に確定)

2. 捜査の経緯と犯人特定――そして「ねつ造」の認定

■ 自白調書45通のうち44通が排除された一審判決

1968年9月11日、静岡地裁は袴田さんに死刑を言い渡しました。注目すべきは、その判決自体が取調べの問題をある程度認めていた点です。捜査段階で作られた自白調書45通のうち、44通は任意性がないとして証拠から排除されました。採用されたのは検察官が作成した調書1通のみで、有罪の根拠は主に「5点の衣類」などの物証に置かれました。

 

この一審で裁判官の一人だった熊本典道氏は、のちの2007年、自分は無罪の心証を持っていたが合議で死刑と決まり、判決文を書いたと公表しました。評議の秘密を明かしたことには賛否がありましたが、裁判の内側にも疑問があったことを示す証言として、大きな注目を集めました。熊本氏は退官後、再審を求める活動を支援し、2020年に亡くなっています。

■ 穿けなかったズボンと、残っていた「赤み」

控訴審では、5点の衣類のズボンを袴田さんが実際に穿けるかを確かめる装着実験が3回行われ、いずれも袴田さんはズボンを穿くことができませんでした。それでも東京高裁は、みそに漬かったことによる縮みなどを理由に、事件当時は穿けたと判断し、1976年に控訴を棄却します。1980年11月には最高裁が上告を退け、同年12月に死刑が確定しました。

 

再審請求で最大の争点になったのは、衣類に付いた血痕の色でした。1年以上みそに漬かっていたはずの衣類の血痕に、写真では「赤み」が残っていました。弁護側は専門家の実験をもとに、長期間みそに漬かれば血痕は黒く変色するはずだと主張し、衣類は発見の直前にタンクへ入れられた可能性があると訴えました。弁護側は光学の専門家に依頼し、写真に写った色を国際的な表色系の数値に置き換えて比較する鑑定も行いました。これに対して検察側は、6か月みそに漬けても赤みが残った例があると反論し、血痕の色をめぐる科学的な論争が長く続きました。

■ 再審の扉が開くまでの40年

第1次再審請求は1981年に申し立てられ、2008年に最高裁で退けられるまで27年かかりました。2008年に申し立てられた第2次再審請求では、DNA型鑑定などの新しい証拠が提出され、2014年3月27日、静岡地裁が再審開始を決定しました。決定は、衣類が捜査機関によってねつ造された疑いにも触れ、拘置を続けることは「耐え難いほど正義に反する」と述べて、死刑と拘置の執行を停止しました。袴田さんは逮捕から約48年ぶりに釈放されます。

 

しかし検察が即時抗告し、2018年6月11日、東京高裁は再審開始決定を取り消しました。高裁は、地裁が重視したDNA型鑑定の信用性を認めませんでした。ただし、袴田さんの年齢や健康状態などを考慮し、釈放は維持されています。2020年12月、最高裁は血痕の色に関する審理が尽くされていないとして高裁に差し戻し、2023年3月13日、東京高裁は再審開始を認めました。高裁は、衣類について「捜査機関がみそタンク内に隠した可能性が極めて高い」と指摘しています。検察は3月20日に特別抗告を断念し、再審開始が確定しました。

 

再審初公判は2023年10月27日に静岡地裁で開かれました。袴田さんは心身の状態から出廷を免除され、姉のひで子さんが補佐人として法廷に立ち、弟の無罪を訴えました。検察は再審公判でも有罪を主張し、2024年5月22日の結審で改めて死刑を求刑しました。再審請求から再審公判の結審まで、40年以上の時間が流れていました。

■ 2024年の判決が認定した「三つのねつ造」

2024年9月26日、静岡地裁(國井恒志裁判長)は無罪を言い渡しました。判決は、(1) 5点の衣類、(2) ズボンの共布、(3) 検察官調書(自白)の三つを捜査機関によるねつ造と認定し、それらを除けば袴田さんを犯人と認める証拠はないと結論づけました。衣類については、1年以上みそに漬かった血痕に赤みが残るとは認められず、発見から近い時期に何者かが手を加えてタンクに入れたと判断し、それができたのは捜査機関以外に考えにくいと述べています。

 

判決は、取調べについても非人道的なものであったと厳しく批判しました。死刑が確定した事件の再審無罪は、戦後5例目とされています。判決の言い渡しは、逮捕から2万1000日以上が過ぎた日のことでした。報道によれば、裁判長は法廷でひで子さんに対し、裁判に長い時間がかかったことをわびる言葉を述べました。

 

判決後の2024年10月21日には、静岡県警の本部長が袴田さんの自宅を訪れ、謝罪しています。

3. 犯罪心理学プロファイリング――なぜ冤罪は生まれ、維持されたのか

袴田事件では、真犯人は判明していません。そのため本章では、犯人像を推定するのではなく、無実の人が「自白」し、その誤りが長く正されなかった過程を、司法心理学の概念を手がかりに分析します。

■ 強制・迎合型の虚偽自白

虚偽自白の研究では、取調べの圧力から逃れるために、やっていない犯行を認めてしまう類型が「強制・迎合型」と呼ばれています。本人は無実だと分かっていながら、目の前の苦痛を終わらせることを優先してしまう状態です。長時間の取調べ、睡眠不足、孤立、「認めれば楽になる」という示唆などが重なると、起こりやすくなると考えられています。

 

袴田事件では、取調べは1日平均約12時間、長い日には約17時間に及び、自白は勾留期限が迫った時期に出ました。一審判決自体が45通中44通の調書の任意性を否定していること、2024年の判決が取調べを非人道的と評価したことを踏まえると、この自白は強い圧力のもとで生じた迎合的なものであった可能性が高いと考えられます。また、自白の内容がパジャマを犯行着衣としながら、のちに見つかった5点の衣類と整合しない点も、取調べ側の想定に沿って供述が作られた「誘導された自白」の特徴と重なります。

 

一方で、取調べの全過程は録音・録画されていないため、どのようなやり取りで自白が生まれたのかを正確に再現することはできません。虚偽自白の類型に当てはめる分析は、残された記録と判決の認定から推測するものにとどまる点に注意が必要です。

■ 確証バイアスとトンネル・ビジョン

確証バイアスとは、いったん持った仮説を支持する情報ばかりに注目し、反する情報を軽視してしまう認知の傾向です。捜査の文脈では、早い段階で特定の人物を犯人と見なすと、その人に有利な事実が見えにくくなる「トンネル・ビジョン」として知られています。

 

袴田事件では、元ボクサーという経歴や寮に住んでいたことなどから、早くから袴田さんに捜査の焦点が向けられたとされます。自白が5点の衣類と矛盾し、ズボンが装着実験で穿けなかったにもかかわらず、捜査側と裁判所は「縮んだ」という説明で矛盾を処理しました。これは、仮説に合わない事実を例外として扱い、仮説そのものを見直さない確証バイアスの典型的な表れと考えられます。

 

ただし、確証バイアスは誰にでも生じる認知の傾向であり、それだけで2024年の判決が認定した「ねつ造」という意図的な行為を説明することはできません。認知の偏りと、組織として結果を出さなければならない圧力とが重なった可能性を考える必要があります。

■ 組織への同調とコミットメントの一貫性

人は、いったん公に表明した立場を守ろうとする傾向があり、これは「コミットメントと一貫性」の原理として知られています。組織の中では、上司や同僚の判断に反対しにくい同調圧力も働きます。

 

袴田事件では、検察は2014年の再審開始決定に即時抗告し、再審公判でも改めて死刑を求刑しました。無罪判決の後、検事総長は控訴を断念しながらも、判決には「到底承服できない」点があるとする談話を出しています。半世紀にわたって有罪を主張してきた組織にとって、誤りを認めることは過去の判断すべてを否定することになり、強い心理的抵抗が生じたと考えられます。一審の合議で無罪の心証を持った裁判官がいながら死刑判決が出たとされることも、少数意見が多数に押し切られる集団の力学を示す例とみることができます。

 

もっとも、組織の行動を個人の心理だけで説明するのには限界があります。制度上の要因、たとえば再審請求での証拠開示のルールがないことや、検察が再審開始決定に不服を申し立てられる仕組みが、長期化を招いたことも見逃せません。

■ 長期拘禁が人の心にもたらすもの

刑事施設での長期の拘禁、特に死刑確定者として執行の時期を知らされないまま過ごす生活は、強いストレスとなり、「拘禁反応」と呼ばれる精神的な変化を引き起こすことがあると指摘されています。外界との接触が限られた環境では、現実から離れた独自の世界観にこもるような状態が見られることもあります。

 

袴田さんは、釈放後も拘禁の影響とみられる症状のため意思疎通が難しい状態にあると報じられており、再審公判では出廷が免除され、姉のひで子さんが補佐人として法廷に立ちました。これは、冤罪が人生の時間を奪うだけでなく、心そのものに長く消えない影響を残しうることを示しています。

 

ただし、個人の精神状態について外部から詳しく論じることには限度があり、ここでは報道や公判で明らかにされた範囲にとどめます。

4. 事件の背景と社会への影響

■ 当時の社会状況・地域の背景

事件が起きた1960年代半ばは、高度経済成長のさなかでした。清水は港町として栄え、食品工業も盛んな地域でした。当時の刑事司法では、捜査段階での自白が有罪立証の中心と考えられる傾向が強く、取調べの可視化(録音・録画)や弁護人の立ち会いといった制度もありませんでした。被疑者を警察の留置施設に長く置いて取り調べる「代用監獄」の運用も、自白偏重の温床として長年批判されてきました。

 

また、元ボクサーという経歴に対する偏見が、当時の報道や捜査に影響したと指摘する声もあります。事件当時の報道は、逮捕段階から袴田さんを犯人視する論調が目立ったとされ、報道のあり方も後に問われることになりました。

■ 事件が社会・法律・報道に与えた影響

袴田事件は、再審制度の見直しを求める議論の象徴となりました。再審請求審での証拠開示に明確なルールがなかったこと、検察が再審開始決定に不服を申し立てられることで手続きが長期化したことが、大きな論点とされました。2014年の再審開始決定から再審開始の確定まで約9年かかったことは、その問題を浮き彫りにしています。

 

こうした議論を受け、2024年には超党派の議員連盟が発足し、法制審議会での検討を経て、2026年7月、再審手続きを見直す改正刑事訴訟法が成立したと報じられています。報道によれば、裁判所による証拠提出命令の規定や、再審開始決定に対する検察の不服申し立てを原則として禁止する内容などが盛り込まれました。一方で日本弁護士連合会は、一定の前進と評価しつつも、例外規定や証拠の目的外使用の禁止などに問題が残るとしています。

 

この長い闘いを支えたのが、袴田さんの姉・ひで子さんでした。ひで子さんは弟の無実を信じて支援活動を続け、釈放後は弟と暮らしながら、各地で冤罪と再審制度の問題を訴えてきました。無罪判決の時点で91歳だったひで子さんの姿は、冤罪が本人だけでなく家族の人生も大きく変えてしまうことを、社会に強く印象づけました。

 

確定後には、2025年3月に静岡地裁が約2億1700万円の刑事補償の交付を決定し、刑事補償として過去最高額と報じられました。2025年10月9日には、警察の証拠ねつ造や取調べ、検察の起訴、裁判所の審理の違法性などを問い、国と静岡県に約6億円の賠償を求める国家賠償訴訟が静岡地裁に起こされています。さらに、無罪判決後の検事総長談話が袴田さんを犯人視するもので名誉を傷つけたとして、国に賠償と謝罪広告を求める訴訟も2025年9月に起こされ、国側は「犯人だと述べたものではない」と争っていると報じられています。

5. 司法の判断と現代への教訓

■ 判決・現在の状況

2024年9月26日の静岡地裁判決は、袴田さんに無罪を言い渡し、検察は10月8日に控訴断念を表明、翌9日に無罪が確定しました。判決の最大の特徴は、捜査機関によるねつ造を明確に認定した点にあります。これに対し、控訴断念を表明した検事総長の談話は、判決について「理由中に多くの問題を含む到底承服できないもの」とし、ねつ造の認定に「強い不満を抱かざるを得ない」と述べました。検察は控訴を見送った理由として、袴田さんが長く法的地位の不安定な状況に置かれてきたことを挙げており、判決の内容そのものを受け入れたわけではないという立場をとっています。国家賠償訴訟では、刑事判決の認定とは別に、改めてねつ造の有無が争点になるとみられています。

 

真犯人は特定されておらず、事件の全容は今も明らかになっていません。4人が命を奪われた事件そのものの真相が解明されないまま、半世紀以上が過ぎたことも、この事件の重い現実です。

■ 現代社会への教訓

  • 自白は真実の証明ではない:長時間・密室の取調べのもとでは、無実の人でも自白しうることが研究で示されています。取調べの全過程の録音・録画と、自白以外の証拠による慎重な検証が欠かせません。
  • 証拠は誰の手にあるかで公正さが変わる:有利な証拠が捜査機関の手元にとどまれば、誤りは正されにくくなります。証拠開示の仕組みは、制度の信頼を支える土台だといえます。
  • 組織が誤りを認められる仕組みが必要:一度示した判断を守ろうとする心理は誰にでもあります。だからこそ、外部の検証や不服申し立ての制度設計によって、誤りを正す道を確保しておくことが重要です。

まとめ

袴田事件は、一家4人が殺害された凄惨な事件であると同時に、無実の人が死刑囚とされ、半世紀以上にわたって自由と時間を奪われた冤罪事件でもあります。長時間の取調べによる自白、仮説に合わない事実を例外として処理した判断、そして2024年の判決がねつ造と認定した証拠。そこには、個人の認知の偏りと、組織の論理、制度の不備が重なり合った構造が見えてきます。

 

袴田さんが無罪を勝ち取るまでの道のりは、姉のひで子さんや支援者、弁護団の長年の努力に支えられていました。この事件を、過去の特殊な出来事としてではなく、今の司法と私たちの「疑う心」を問い直す材料として受け止めることが求められています。

 

【動画でさらに詳しく解説】 本事件の詳細は、YouTubeチャンネル『CRIMINALNIGHT』にて解説しています。ぜひあわせてご覧ください。