イギリス 海外事件

ジョン・ダフィー事件|英国初のプロファイリング逮捕事件と連続強姦殺人犯の心理分析

はじめに

1980年代のロンドン。イギリス社会がまだ「連続強姦犯」という概念に慣れていなかった時代に、一人の小柄な男が女性たちを恐怖に陥れた。
その名はジョン・ダフィー(John Duffy)
彼は後に「レイルウェイ・レイピスト(鉄道レイプ犯)」として知られるようになり、やがて英国史上初めてプロファイリング手法により逮捕された男として犯罪史に名を残した。

この事件は、単なる連続性犯罪ではない。
それは「犯人像の科学的推定=プロファイリング」が、警察捜査の現場に導入された最初の成功例でもあり、心理学と犯罪捜査の結びつきを象徴する出来事だった。

この記事では、ジョン・ダフィー事件の全貌を辿りながら、犯人の生い立ち、心理構造、捜査の過程、そして現代社会への教訓を詳しく解説していく。


事件概要

1982年から1986年にかけて、ロンドンおよびその近郊で、女性が駅周辺や鉄道付近で襲われる事件が相次いだ。
被害者は若い女性が多く、その数は少なくとも18人以上の強姦、3人の殺害に及んだとされる。

初期の犯行は「2人組」によって行われており、背の高い男と小柄な男が共に女性を襲うという共通点が見られた。
この小柄な男こそが、後に逮捕されるジョン・ダフィーである。
相棒の“長身の男”については、現在に至るまで正体が明らかにされていない。

犯行の手口は極めて冷酷で計画的だった。
被害者は後ろ手に縛られ、頭部を殴打され、性的暴行を受けた後に殺害されることもあった。
1985年から1986年にかけて、ダフィーは単独で行動するようになり、犯行の残虐性はさらに増していった。

当時、警察は2000人を超える容疑者をリストアップしていたが、決定的な証拠をつかむことができず、捜査は長期化。
そんな中で導入されたのが、アメリカで発展した犯罪心理プロファイリングであった。


犯人ジョン・ダフィーの生い立ち

ジョン・ダフィーは1958年、ロンドンで生まれた。
幼少期は貧困家庭に育ち、家庭内では暴力的な父親の存在が大きく影響していたといわれる。
学校ではおとなしく、体が小さいことでしばしばいじめを受けていたという記録もある。
この「身体的劣等感」と「支配される恐怖」が、後に女性を支配する性的嗜好へと転化していったと見られる。

青年期には鉄道関連の会社に勤務し、真面目な印象を周囲に与えていた。
一方で、武道やサバイバル技術に強い関心を示し、ナイフやロープなどに執着を持っていたという。
この「武術へのこだわり」は、後に彼の犯行スタイルにも影響を及ぼすことになる。

ダフィーは若くして結婚したが、妻との関係は冷え切っていた。
彼の支配的で攻撃的な性格が次第に家庭内にも現れ、暴力的な夫婦関係に発展。
1985年、妻に対する強姦とその交際相手への暴行で一度逮捕されている。
この出来事が、彼の人生を決定的に暗黒へと導いた。


被害者と犯行の手口

強姦から殺人への転換

ダフィーの犯行には、明確な「進化」が見られる。
初期の頃は、性的暴力のみにとどまっていたが、逮捕歴や警察の捜査が迫る中で、彼は「被害者を生かしておくと捕まる」と考えるようになり、強姦殺人犯へと変貌した。

犯行の特徴

  1. 鉄道付近を好む
     ダフィーは鉄道の構造を熟知しており、人通りの少ない場所を巧みに選んで襲撃した。

  2. 被害者の拘束方法
     ロープや衣服を裂いた布で後ろ手に縛り、支配欲を満たす行為を行った。

  3. 痕跡隠しの執念
     精液の痕跡を消すために、被害者の体内にティッシュを詰めて火をつけるなど、極めて異常な行動が確認されている。

  4. 殺害方法
     殴打と絞殺の組み合わせが多く、殺害には「力で屈服させる」という心理的要素が色濃く反映されていた。

主な事件の例

  • 1985年12月29日:アリソン・デイ殺害事件
     19歳の女性が恋人に会いに行く途中、ハクニー・ウィック駅近くで行方不明に。
     2週間後、水路で遺体が発見された。拘束・強姦・絞殺の痕跡が残されていた。

  • 1986年4月17日:マーチェ・タンボーザー襲撃事件
     15歳の少女が自転車で駅脇の路地を通過中に罠に引っかかり転倒。
     その場で襲われ、犯人は痕跡を消すために膣内を燃やそうとする異常行動を取った。

  • 1986年5月18日:アン・ロック殺害事件
     29歳の女性が襲撃され、同様にティッシュを燃やされていた。
     この時、ダフィーは前日に警察から職務質問を受けており、偶然にも「ナイフ」と「ティッシュ」を所持していた。

このように、犯行には一貫した性質と執着が見られる一方で、痕跡消去への強い不安が心理的特徴として浮かび上がる。


捜査と逮捕の経緯

当初、警察は膨大な容疑者リストを抱えていた。
ダフィーもその中の一人に過ぎず、決定的な証拠はなかった。
しかし、捜査は思わぬ方向に進む。

当時、サリー大学のデヴィッド・カンター博士が、アメリカFBIの犯罪心理プロファイリングを研究しており、ロンドン警視庁に協力する形で分析を行った。

博士が提示したプロファイルは次のような内容だった。

「年齢は20〜30歳。小柄な男性。性的不全や劣等感を持ち、武術や体力へのこだわりがある。
既婚だが家庭は不安定。被害者の自宅近辺を下見する傾向あり。」

この推定は、驚くほどダフィーの実像と一致していた。
警察はこれをきっかけに、彼を重点的に捜査。
1986年7月、ついにダフィーは逮捕された。

その際、彼は血液採取を拒否し、友人に自分を殴らせて「暴行被害者」を装うなど、異様な行動を取っていた。
だが、DNA検査(当時は初期段階)や靴跡の一致、犯行現場での行動パターンが決定的証拠となり、彼は起訴された。


裁判と判決

1988年、ジョン・ダフィーは強姦・殺人など計26件の罪で起訴され、裁判で有罪が確定。
判事は彼に対して**終身刑(最低服役期間30年)**を言い渡した。

判決時、裁判官はこう述べている。

「あなたの行為は冷酷で計算されたものだ。
30年経ったからといって、自由を期待してはならない。」

後に、相棒とされるデイヴィッド・マルホランド(仮名)も逮捕されたが、証拠不十分で無罪となった。
それでも、ダフィー自身は獄中で一部の事件を自供し、後年にはプロファイリング研究の協力者としても知られるようになった。


犯罪心理分析

ダフィーの犯罪心理には、いくつかの明確な特徴がある。

  1. 劣等感の転化
     小柄で非力な自分を「女性支配」という形で補おうとした。

  2. コントロール欲求
     被害者を拘束し、完全に支配下に置くことで快感を得た。

  3. 性的倒錯(サディズム傾向)
     暴力と性的興奮が結びついており、被害者の苦痛を観察することで満足感を得ていた。

  4. 恐怖と自己防衛の矛盾
     捕まる恐怖から証拠隠滅を繰り返すが、その行動自体が異常性を際立たせていた。

心理学的には、**「支配と恐怖の連鎖」**に支配されたサディスト型性犯罪者と分類される。
彼のようなタイプは、幼少期のトラウマと成人期の社会的孤立が重なりやすい。


プロファイリングの成功と課題

ジョン・ダフィー事件は、英国初のプロファイリング成功例とされる。
この手法は後にロンドン警視庁の捜査標準として採用され、英国版FBIとも言われる「行動科学分析班(Behavioral Science Unit)」設立のきっかけとなった。

しかし、同時に課題も残した。
プロファイリングはあくまで「仮説」であり、証拠の代替にはならない
実際、ダフィー逮捕の決め手は物的証拠と行動パターンの一致であった。
プロファイリングは「科学的直感」として、捜査を導く羅針盤のような存在だったのである。


現代社会への教訓と危機管理アドバイス

ダフィー事件から学べるのは、「犯罪者は外見や地位で判断できない」という事実だ。
彼は鉄道職員であり、一般市民の中に溶け込んでいた。
このような「潜在型性犯罪者」は、現代社会にも存在する。

防犯・危機管理のポイント

  • 夜間の一人歩きは避け、明るい通りを選ぶ。

  • SNSでの位置情報発信を控える。

  • 不審者を見かけたらすぐ通報する。

  • 自衛用アプリや防犯ベルを常に携帯する。

  • 信頼できる第三者に移動予定を伝える。

心理的に言えば、犯罪者は「相手の油断」を察知する。
“警戒心を持っている”という態度自体が抑止力になることを忘れてはならない。


まとめ

ジョン・ダフィー事件は、英国犯罪史において極めて重要な意味を持つ。
それは単なる残虐な事件ではなく、「科学が犯罪心理を追う時代の幕開け」だった。

プロファイリングは万能ではないが、人間の心理を理解しようとする努力の結晶であり、
それが一人の異常な犯人を捕らえる力となったことは間違いない。

社会が安全であるためには、警察の技術だけでなく、私たち一人ひとりの意識も求められている。
犯罪は、見えないところで進化する。
それに対抗するためには、「知ること」「備えること」こそが最大の防御だ。

-イギリス, 海外事件