はじめに
ボビー・ジョー・ロング/リサ・マクヴェイ/フロリダ州タンパベイ/連続殺人犯/誘拐事件/女性被害者/犯罪心理学/被害者の勇気/死刑判決/犯罪プロファイリング
1984年、アメリカ・フロリダ州タンパベイで女性を狙った連続殺人事件が相次ぎました。
その犯人は「ボビー・ジョー・ロング(Bobby Joe Long)」——彼の凶行によって少なくとも10人以上の女性が命を落としたとされています。
しかし、その犯行を止めるきっかけとなったのは、わずか17歳の少女リサ・マクヴェイの勇気ある行動でした。
彼女は誘拐・監禁という極限状態の中で、冷静に犯人を観察し、証拠を残し、自らの言葉で命を守り抜いたのです。
この記事では、リサの体験、ボビー・ジョー・ロングの生い立ちと心理、そして事件の真相とその後を詳しく見ていきます。
事件の概要:1984年タンパベイを襲った恐怖
1984年春から秋にかけて、フロリダ州タンパベイ一帯で女性ばかりを狙った連続殺人事件が発生しました。
犠牲者はいずれも20〜30代の女性で、共通点は「手首を縛られ、全裸で遺棄されていた」こと。
当時、警察もメディアも「女性連続殺人鬼による犯行」として大々的に報じ、
市民の間では「夜一人で外出しないように」と警戒警報が出されていました。
その連続殺人の最中に起きたのが、リサ・マクヴェイの誘拐事件です。
リサ・マクヴェイ誘拐:闇の中の生還劇
拉致と監禁
1984年11月3日深夜、アルバイトを終えて帰宅途中だった17歳の少女リサ・マクヴェイは、
背後から現れた男に車で拉致されました。
その男こそ、後に「タンパの殺人鬼」と呼ばれるボビー・ジョー・ロング(当時31歳)でした。
彼はリサを自分のアパートに連れ込み、手を縛り、目隠しをして監禁。
逃げ場のない中で、リサは必死に命を守るための言葉を選びました。
「あなたは本当は悪い人じゃない」
「病気の家族を介護しているの」
「逃がしてくれたら、誰にも言わない」
その言葉は、犯人の中にわずかに残る「人間的感情」に訴えたものでした。
そして翌朝、ロングは信じられない行動に出ます——
リサを解放したのです。
警察への通報と疑念
解放されたリサはすぐに家に戻り、警察へ通報しました。
しかし、最初に対応した警官は信じませんでした。
「夜遊びしていただけだろう」
「親に叱られたくて嘘をついている」
そう決めつけられたのです。
それでもリサは、次の刑事に向かって冷静に詳細を語り始めました。
リサの記憶力と観察力が事件を動かす
リサは監禁中、あらゆることを「記録」していました。
犯人は30歳前後、鼻髭のある白人男性
車は黒のツードア
部屋は緑のじゅうたんで、階段は22段
左利きで、ウォーターベッドがある
洗面所にはカンガルーのマークがついたスニーカー
指紋をタオル掛けと便器に意図的に残した
警察はリサの異常なほど正確な記憶に驚きました。
彼女はこう語ります。
「どうしても犯人を捕まえてほしかったの。だから、必死で覚えたの。」
この冷静な判断と行動力が、連続殺人犯を追い詰める鍵となります。
捜査の突破口
警察が捜査を進めると、リサの証言と他の被害者の状況が一致していることがわかりました。
黒い車が目撃されている
被害者の手首が縛られていた
緑色のじゅうたんの繊維が検出された
その結果、容疑者の自宅が特定され、リサの証言どおりの部屋構造(階段22段、緑のじゅうたん、カンガルーロゴの靴)を発見。
さらに、リサが残した指紋も完全一致しました。
1984年11月16日、ボビー・ジョー・ロングは映画館の駐車場で逮捕されます。
犯人・ボビー・ジョー・ロングの生い立ち
クラインフェルター症候群という障がい
ロングは生まれつき「クラインフェルター症候群」という病を抱えていました。
これは男性の体に女性ホルモンの特徴が現れ、胸が膨らむなどの症状が出るものです。
思春期の彼はその見た目の違いに苦しみ、周囲からのいじめにさらされました。
バイク事故と性衝動の変化
1974年、結婚生活を送っていたロングはバイク事故で重傷を負い、
回復後に性衝動が異常に増加するようになります。
医師の見解では、「脳の損傷が衝動抑制を弱めた可能性がある」とのことでした。
この頃から、性的暴力を伴う犯罪に手を染めていきます。
「三行広告レイピスト」と呼ばれた時代
ロングは新聞の三行広告を悪用しました。
「家具を売ります」「家電を処分します」といった広告を出した女性の家を訪ね、
犯行に及んだことから「三行広告レイピスト」と呼ばれました。
1981〜1984年の間に被害者は50人を超えたとされています。
そして1984年3月、最初の殺人を犯します。
以後、タンパ周辺で10人以上の女性が命を落としました。
犯罪心理分析:ボビー・ジョー・ロングの内面
計画的衝動犯
ロングの行動は、衝動と計画性が入り混じった典型的な「計画的衝動犯」でした。
被害者をランダムに選ぶ一方で、犯行手順や後処理は冷静で、
捜査をかく乱する工夫も見られました。
性的支配欲と劣等感
彼は自らの身体的コンプレックスと、女性への歪んだ支配欲を結びつけていました。
「支配できること=自己肯定」という危険な心理構造が、
犯罪心理学的に顕著に見られる特徴です。
リサを殺さなかった理由
逮捕後の取り調べで、ロングはこう供述しました。
「彼女は売春婦ではなかったからだ。」
しかし心理学的には、これは単なる言い訳ではありません。
リサが示した「共感的な対話」が、彼の防衛本能を刺激し、
攻撃性を一時的に緩和させたと考えられています。
リサの勇気と冷静さが、自らの命だけでなく、
その後の多くの女性の命を救ったと言えるでしょう。
その後のリサ・マクヴェイ
リサは事件後、心の傷を抱えながらも立ち直り、
最終的にフロリダ州ヒルズボロ郡保安官事務所の性犯罪専門刑事となりました。
自らの経験を活かし、被害者の支援と再発防止のために尽力しています。
「あの日、私を信じてくれた警官がいたから、今の私がある」
現在は2人の子どもと孫に恵まれ、講演活動や教育プログラムでも活躍中です。
ロングの最期
1985年、ロングは裁判で10件の殺人と多数の暴行罪で有罪判決を受け、
1985年9月23日、死刑が確定。
その後34年間の服役を経て、2019年5月23日、薬物注射によって刑が執行されました。
享年67歳。
まとめ:恐怖よりも強い「生きる意志」
この事件は、「恐怖」ではなく「生きようとする意志」が人を救うことを証明しました。
リサ・マクヴェイの冷静さと勇気、そして被害者としてだけでなく「戦う警察官」となった彼女の姿は、
世界中の犯罪被害者に希望を与えました。